空襲を免れた愛知県本庁舎と名古屋市本庁舎
2022年10月07日
1872年(明治5年)に愛知県が誕生してから150年を迎えたことを受けて、10月3日~12月2日まで
愛知県公文書館で開催中の、「愛知県政150周年記念企画展」へ足を運びました。
時代や社会が揺れ動く中、変わってきた県庁の姿を、愛知県の始まり、郡役所の設置と廃止、県庁舎
の変遷から各種テーマ毎に、県公報や各種文書、写真資料などで詳しく紹介されていました。
そんな中で目に留まったのは、1935年(昭和10年)県庁舎建設当時の鉄骨造の躯体写真と併せて
戦時中に空襲を避けるために隣接する名古屋市役所本庁舎とともに愛知県庁本庁舎の外壁を黒っぽく
コールタールで迷彩色に塗装されていた写真でした。
空襲により市街地のほとんどが焼け野原となった中でも、名古屋市公会堂や市政資料館(旧裁判所)
旧名古屋銀行本店(東海銀行の前身)等々いくつかの難を逃れた建物と同様に偶然たまたま難を逃れ
ることができたのか?それとも庁舎の外壁を迷彩色に塗装して空爆の対象とならなかったのか?
・・・高度の航空機から黒っぽい色は池、沼と識別するとの話を耳にしたこともありますので・・・
因みに、姫路城でもやはり空爆を受けないよう、大天守、子天守にコールタールで黒く染めたわら縄
を外壁に偽装して、損傷を免れたと言われています。・・・では「名古屋城」は?
愛知県庁及び名古屋市役所と至近距離に建っていた名古屋城が、もしも!戦禍に見舞わることなく現存
していたならば、”国宝現存天守の城” として、名古屋市の地位は今より数段高く正真正銘胸を張って
「尾張名古屋は城で持つ」と言えるでしょう。そして観光客も今以上多くの方が訪れることでしょう。
・・・過ぎ去ったこととはいえ歴史好きな者としては、残念至極!