松平家、徳川将軍家の菩提寺「大樹寺」とは
2023年02月23日
これまでも度々訪れたことのある岡崎市の「大樹寺」へ足を運び、参拝し見学してきました。
NHK大河ドラマの効果によって、駐車場も満杯になるほど多くの参拝,見学者で賑わっていました。
大河ドラマでも描かれていた大樹寺ですが、桶狭間合戦で今川義元が討たれたことにより大高城から
大樹寺へ逃れた家康が、先祖の墓前で自害すべく覚悟したのを13代住職登誉上人から、「戦国乱世
を住みやすい浄土にするのがお前の役目である」と諭されとされています。又、この時家康を野武士
の一隊が寺を囲んだが、寺僧が退散させました。そして、今川方の城代が駿府へ逃げ帰った岡崎城へ
入り、晴れて家康が岡崎城主となり、ここからが苦難とサクセスストーリーの始まりとなりました!
このお寺では家康の遺命による「位牌は三河大樹寺に祀るべきこと」に従い、歴代将軍の等身大の
位牌が安置されていますが、位牌を見ると当時の人の身長がそんなにも小さいのかと感じられます。
そして特筆すべきは、大樹寺と岡崎城を結ぶ約3kmの直線、「ビスタライン」です。
徳川三代将軍家光が家康の17回忌を機に、祖先である松平家の菩提寺である大樹寺の伽藍の造営を
行う際に、「祖先の地を望めるように」との思いを守るため、本堂から山門,総門を通して真中に
岡崎城が望める様に伽藍を配置したことに由来していると言われています。歴代の岡崎城主は天守
から毎日拝礼したとも伝えられています。
このライン上への建造物の高さ制限が平成30年7月以降は法整備されましたが、それまでの間
380年間は法規制のない中、ライン上の願望を遮らないよう住民は配慮してきたことに感銘を受け
市民が家康の生誕地を誇りに思っていたことを伺い知ることができました。
「どうする家康」はまだまだ始まったばかりで、どのように描かれていくのか見守っています。