折り返し地点を迎えた「どうする家康」

2023年06月23日

NHK大河ドラマ「どうする家康」のドラマ上では、折り返し地点を迎えています。  

 

 岡崎城で生まれ、織田今川家の人質時代から、桶狭間の戦いにより晴れて岡崎城主となって以降は

三河一向一揆の平定や姉川の戦い、そして岡崎城は長男信康に、自らは浜松城へ移り、早速に迎えた

三方ヶ原の戦いでは武田信玄に惨敗し、信玄亡き武田軍の武田勝頼とは長篠設楽原で織田信長連合軍

と共に勝頼を破り、そしてドラマ上では、妻の築山殿を殺害し、長男信康を謀反の疑いで自害させる

ところまで進んできました。

 

 時に家康は37才で、74才まで生きたことから、正に年齢的にも折り返し地点を迎えていましたが、

この先、更なる試練が待ち構えており、ドラマも面白く演出されるに違いありません。

 

 ところで、地元の尾張三河が生んだ”三英傑”と言いますが、信長、秀吉、家康 三名の地元とは?

 先ず信長は?尾張で生まれ、居城は清須城から美濃攻略へと小牧山城へ、そして美濃の稲葉山城を

攻略して移り住み、この地を”岐阜”と改め、この”岐阜城”から天下布武を掲げて天下人を目指した事

から、今では”信長”=”岐阜”のイメージが定着しているのが現実ではないでしょうか?

 

 次に秀吉は?同じく生まれは尾張ですが、信長の下で数々の戦功をあげ、本能寺の変以降大阪城へ

と居を構え、京都や堺から商人、職人を大阪に呼び寄せて”天下の台所”と呼ばれるようになった、

商都、大阪の礎を築いたことから、太閤さん秀吉=大阪の人として慕われてきました。

 

 さて、家康は?関ヶ原の戦い後、征夷大将軍として江戸幕府を開いたものの、西の大阪城には秀吉

の息子、秀頼及び豊臣恩顧の大名も健在であることから、それら西への防備として、難攻不落の城と

併せ、今の名古屋の街とほぼ一致する碁盤割の城下町をつくり、それまでの尾張の中心地として栄え

ていた清須から、社寺、町人、全てを移転させる「清州越し」を行いました。

 家康の生まれは三河ですが、何といっても、尾張徳川家は御三家筆頭とされるほどに尾張を重要視

していたことから、”家康の名古屋の街”として現存しており、家康=名古屋・・・デス、ね!!