愛知県公文書館企画展と、鳥羽伏見の戦い

2020年10月20日

先日、愛知県公文書館の企画展「史料で読む幕末維新の一大事」が開催され

他にも調べたいこともあり、幕末維新の混乱期に触れることができました。

 

企画展では、桜田門外の変に始まり、水戸藩の尊王攘夷派による天狗党の乱や

長州征討の顛末から戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見の戦い、そして尾張藩内

の佐幕派が処刑された青松葉事件などの史料を感慨深く見てきました。

 

企画展見学の当日、3年前にNHK、BSで放映された「鳥羽伏見の戦い」の

様子を2時間かけて詳しく放映され改めて興味深く観ることができました。

 

歴史上の「なぜ?」の真実は「本能寺の変」を筆頭に数々あれども、

難攻不落の大阪城にあって、海陽丸をはじめ無敵の艦隊を擁する海軍が大阪湾

を押さえ、且つ、艦隊で江戸から援軍も送ることができるにもかかわらず、

最高司令官たる、将軍徳川慶喜が、将兵を置き去りにして海陽丸で江戸へ逃走

してしまったのか?・・・

 

鳥羽伏見の戦いは、「幕府軍対薩摩藩の私戦」でこの時点では「朝敵」でなく

戦力からすれば幕府軍の勝利の可能性が高く、それだけに幕府方としては

将軍の遁走は、残念至極でならなかったに違いありません。

 

鳥羽伏見の戦いは、戦力装備ともに幕府軍が圧倒的に優勢であったものの

太平の世にあって、下級武士からあらゆる手段を駆使してのしあがってきた

西郷隆盛や大久保利通の薩摩軍、一方で生まれながらにしての地位にあり、

気位が高く薩摩軍を見下し油断していたことが敗因であったようです。

 

どこかの国のトップ選びも然り! たたき上げとされる2人の老獪なまでの

戦術により勝利を手に入れています。

 

戦いとは、俗に言う「野武士」対「お公家さま」では戦闘能力、腕力の差

・・・が一目瞭然ですネ。